旅カメラ  

 
旅カメラ・つれづれ書き


カメラの思い出 〜カメラと旅カメラの変遷〜

●初めて手にしたカメラ 〜 フジカ ニューコンパクト35
  はるか昔…。
  中学に上がるとき、親にカメラを買ってもらった。小学生の頃「絵はがき」を眺めるのが好きで、中学生になったら自分で「絵はがきみたいな」風景写真を撮りたいと思っていた。その時のカメラが「フジカ ニューコンパクト35」。武蔵小金井駅南口駅前の「フォトムサシノ」で1万ちょっとぐらいだった。
  入学と同時に写真部に入部。部員には裕福な家の子も多く、先輩には「ニコンF」を持ってきている人がいた。「ニコマート」や「ペトリ」、「SRT101スーパー」など学校で一眼レフがそれほど珍しいものではなかったのは驚きだった。
(FUJICA NEW COMPACT 35 発売:1969/9)
●初めてのレンジファインダー&中古カメラ 〜 キヤノン7s
  2年生の頃だったか、レンジファインダー機である中古の「キヤノン7s」を使うことになった。父に連れられて新宿の「カメラのキムラ」に行き、ショーケースにあった標準レンズ付きの「キヤノン7s」を購入した。これは2万円台の前半だったと思う。私はそのカメラのことを知っていたが、当時すでにクラシックなカメラであった7sをねだったとは思えない。写真に夢中になっている子供に、もう少し本格的なカメラを使わせてやろうという親心だったのかもしれない。
(CANON 7s 発売:1965/4)
●憧れのブローニーカメラ 〜 マミヤC220
  高校一年から二眼レフの「マミヤC220」を使い始めた。「キヤノン7s」は下取りに出した。10代の頃は写真の趣味は親がかりで、新しいカメラを買うときに前のカメラを下取りに出すのが決まりだった。だから並行して二台のカメラを使うことはなかった。
  「マミヤC220」は、初めてはっきりと自分の意思で選んだカメラだった。風景写真を撮りたいという意欲に対して、細密な画が撮れる中判カメラは自然な選択だった。ただ当時の主流は一眼レフで、十代で二眼レフを使っている人間はかなり珍しかった。
  高校でも写真部に入部した。写真部の活動で仲間と出かけたり、家族や友達と旅行する機会が増えた。旅カメラの第一号機はなんだろうと考えると、高校の3年間使っていた二眼レフ「マミヤC220」がそうだったのかもしれない。もちろん、旅カメラといったって一台しかないカメラだから「イコール旅カメラ」でもあるわけだが。その後今に至るまで、ほぼ「メインカメラ、イコール旅カメラ」であるように思う。
(MAMIYA C220 PROFESSIONAL 発売:1968/4)
◎人の役に立ったC220
  写真の趣味なんてごく個人的な満足を得るものでしかないと思っていたが、高校の時に思いがけず人の役に立ったことがあった。
  修学旅行で北海道に行ったときのこと。学生主導の企画で予算を切りつめての修学旅行だったので、記念写真を業者に頼む余裕がなかったのかもしれない。どこかの峠で休憩となったとき、同行した先生の一人が私の乗っているバスにやってきて、「集合写真を撮ってくれ」ということになった。実行委員の一人が、「写真部にでかいカメラを持ってる人がいます」と進言したようだ。それで急きょ三脚にマミヤC220をセットして、全クラスの記念写真を撮ることになった。
  私が写るカットは友人にシャッターを頼んだ。趣味がこんなところで役に立ったわけで、やっていて良かったと思った。ただし、一クラス2・3枚撮ったと思うが、いくら言っても目をつぶったり横を向いたりしている人間がいることを、帰京後出来上がりを見て知った。やはりプロのようにはいかない。

●短命だった理想のカメラ 〜 マミヤM645
  大学入学時には「マミヤC220」に代えて「マミヤM645」を使い始めた。ブローニーの画質と機動性の良さを持ち合わせた理想的なカメラだと思った。けれどその夢のカメラ「645」は長く続かなかった。生まれて初めてアルバイトで手にしたお金とあわせて「キヤノンAE−1」に買い換えた。
(MAMIYA M645 発売:1975/6)
●マイ旅カメラNo.1 〜 キヤノンAE−1
  「フジカ ニューコンパクト35」、「キヤノン7s」、「マミヤC220」、「マミヤM645」、「キヤノンAE−1」…。中学入学から8年ぐらいの間に5台のカメラを使ったことになる。そのほとんどを支出してくれた父は、どうせ買い換えるなら価値が落ちないうちに下取りに出してニューモデルを買った方がいい、という考えのようであった。おそらくこれは車の買い方と同じだった。
  「キヤノンAE−1」を選んだのは、撮る対象が風景にとどまらなくなり、撮り方も手持ち中心に変わってきたからだった。「AE−1」はその後さらに1台買い足し、レンズを揃えながら16年ほど使った。それまでに使ったカメラとは比べものにならない、長期間だった。
  年数からいっても、「AE−1」こそもっとも多くの旅に携行したカメラで、思い立ったらすぐにバッグに入れて出かけられるような、気軽に使える「正真正銘の」旅カメラだった。レンズは当時無理して買った「FD 35-70mm F2.8-3.5 S.S.C.」をメインに使っていた。
(CANON AE-1 発売:1976/4)
◎RTSとプラナーに触る
  AE−1はとても使いやすく、他のカメラに乗り換えようという気が起こらなかった。愛用していた16年の間に世の中の一眼レフのピント合わせはマニュアルからオートに様変わりしたが、オートフォーカスの一眼レフに興味は湧かなかった。唯一他のカメラで魅力的に感じたのは、まだAE−1を使い始めて間もない頃に触った、ヤシカとカールツァイスが共同開発した「コンタックスRTS」だった。
  中学時代の写真仲間に誘われて、コンタックスサロンで催されたモデル撮影会に行ったときのこと。撮影会は、普段使っているカメラを持参して、現地で貸してくれる「RTS」とカールツァイスレンズとの撮り比べができる、という趣向だった。「RTS」のデザインは目からウロコが落ちるほど斬新なもので、ボリューム感があり、シャッターは劇的に軽かった。高級感もたっぷりで、一歩も二歩も先を行くカメラという印象を受けた。
  しかし一番の驚きは、家に帰ってフィルムを現像に出し、プリントが上がってきたときだった。そんなに違いはないだろうと思っていた予想を裏切り、キヤノンFDレンズ(85mm)とツァイスのプラナー(50mm)との間には、誰の目にも明らかな差があった。プラナーの方がずっと色鮮やかだったのだ。相対的にキヤノンは繊細ではあるものの発色が地味。どちらにも良さがあるとは思うが、ふたつ並べて見ればキヤノン形無しの感があった。ただコンタックスは学生にとって非常に高価だったので、買う買わないなどというレベルで考えたことはなかった。
(CONTAX RTS 発売:1975)
●最後のMF一眼 〜 コンタックス167MT
  長年使用した「AE−1」が壊れていよいよ買い換える段になったとき、マニュアルフォーカスの一眼レフは風前の灯火となっていた。頼みのキヤノンはいち早くマニュアルを捨て去り、オートフォーカス一辺倒になっていた。ニコン、リコー、コシナあたりで僅かにマニュアル機が残っていたが先行きは期待できなかった。そこで十数年ぶりに目を向けたのがコンタックスだった。
  コンタックスは「高級コンパクトカメラシリーズ」をヒットさせていたものの、肝心の一眼レフではオートフォーカスへの切り替えが遅れ、引き続きマニュアルフォーカスの一眼レフを製造していた。初めてRTSに触ったときとは違い、167MTという手の届くモデルもあって、それも発売して年数が経っていたせいか値引きも大きかった。選択肢の乏しい中で、AE−1の後継機は「コンタックス167MT」に決まった。
  「167MT」に組み合わせたのは「バリオゾナー35-70mmF3.4」。AE−1でズームを使って以来ズームレンズが標準レンズになった。とくに旅では軽量でかさばらないズームレンズが使いやすい。マニュアルフォーカスを使いたいという一心で選んだ167MTだったが、奇しくもはるか以前に実感したツァイスレンズの描写を楽しめることになった。167MTは、αスウィートデジタルを購入するまでの十年ちょっと、メインカメラとして使用した。
(CONTAX 167MT 発売:1987/2)
◎仕事になったデジタルカメラ
  1995年春にカシオ計算機から「QV−10」が発売された。QV−10はデジタルカメラ時代の幕開けを告げる画期的なモデルで、わざわざ新宿のヨドバシカメラまで見に行った。当時はまだカメラと比較するような商品ではなかったし、パソコンもウィンドウズ3.1でインターネットは使えない時代だった。
  どういう縁か、翌年そのQV−10の仕事をすることになった。カメラとパソコンをつないでデータをやりとりするソフトウェアの開発に関する仕事だった。以来、QVシリーズのカメラとお付き合いすることとなった。

◎仕事になったデジタルカメラ・2
  QVシリーズの仕事から離れたあと、ウェブ制作の仕事を始めた。その必要もあって、サンヨーの「DSC−V100」というデジカメを購入した。QV−10よりは少し進歩したものの画質を問えるレベルではなく、電池の持ちもひどく悪かった。これは他社も同様で、その頃のデジカメはカメラとしてはもちろん、道具としてもまだまだだった。
  しかし当時ウェブ制作で大きな画像を扱うことは少なく、DSC−V100の画でじゅうぶんだった。以後、仕事用にコンパクトタイプのデジカメを使うようになった。

●デジタル一眼レフ1号機 〜 αスウィートデジタル
  デジタル一眼レフの価格が徐々に下がって普及し始めても、コンタックスはデジタルに本格参入していなかった。人並みにデジタル一眼を使ってみたいと思うようにはなったが、コンタックスの今後が見えてこないと動けない。そのうちにコンタックスの製造元、キョーセラがあっけなくカメラ製造から撤退してしまった。
  コンタックスのデジタル一眼を使う目が消えたので、思いきってコニカミノルタのデジタル一眼「αスウィートデジタル」を購入した。手頃な価格で、当時上級機「α−7」とともに唯一のボディ側手ブレ補正機構を搭載していた。使いやすく、手ブレ補正は撮影の幅を飛躍的に広げてくれた。ただ、同時に購入したデジタル専用レンズ、タムロン18-200ミリとの組合せは結果がいまひとつの時があり、半年間旅に携行したもののこれ一台で安心できるところまではいかなかった。
  一方で、αスウィートデジタルはウェブ制作の仕事にピタリとはまった。手ブレ補正のおかげで、室内の催し物や薄暗い店内でもノーフラッシュで撮れた。18-200との組合せで、すっかりコンデジの仕事を奪ってしまった。
(KONICA MINOLTA α SWEET DIGITAL 発売:2005/8/19)
●カメラ的里帰り 〜 ツァイスイコン
  趣味で使うにはデジタルもまだまだ、という思いと、フィルムへの愛着から2006年に「ツァイスイコン」を購入した。レンズはプラナー50ミリとフォクトレンダーの35ミリ、後に90ミリを組み合わせた。写りは非常に満足度の高いもので、167MTの次の「旅カメラ」はこのツァイスイコンとαスウィートデジタルの2台になった。その時々で両方持っていったり、片方だけで行ったりした。
(Zeiss Ikon -Black- 発売:2005/11/25)
◎αスウィートデジタルふたたび
  αスウィートデジタルを購入して数ヶ月後、コニカミノルタはカメラとフィルム事業から撤退を宣言、一眼レフシステムをソニーに譲渡すると発表した。キョーセラの撤退に続く事態にがっかりしたが、ソニーは以前からコンパクトタイプのデジカメでカールツァイスと提携していたため、めぐりめぐって、再びツァイスのレンズを使えることになった。
  αスウィートデジタル発売から1年半後、2007年春に発売されたアルファ用の「バリオゾナーDT16-80mm F3.5-4.5 ZA」とαスウィートデジタルの組合せは期待を裏切らない写りだった。かつての、「AE-1+35-70ズーム」、167MT+35-70ズーム」と同様、安心して使えるメインカメラ、イコール旅カメラとなった。

●デジタル一眼レフ2号機 〜 α700
  アルファシステムがソニーに移ってから最初に購入したのがα700。αスウィートデジタル発売から2年以上が経ち、さすがに写りに物足りなさを感じるようになっていた。フィルムの時、カメラは長く使えたのにデジタルではそうはいかない。α700だって何年使えるかわからないが、とりあえず操作性も画質もとても満足のいくものだった。これによりフィルムの登場回数がめっきり減ってしまった。
(SONY α700 発売:2007/11/9)
◎メインカメラ=旅カメラ、はそろそろ限界?
  α700がメインカメラとなったのは良かったが、「旅カメラ」としてどうか、という思いはむしろ強くなった。もともとフィルムの時からAF一眼レフが好きでないこともあるし、仕事はともかく旅という個人的でアナログな楽しみにはもっと別の選択肢があってもいい。
  シグマが先陣を切った大型撮像素子搭載による高画質コンパクトカメラの流れは楽しみだ。APS-Cサイズの撮像素子を搭載したコンデジ、マイクロフォーサーズ規格のコンパクト一眼。もちろん、レンジファインダーデジタルも手の届く価格の新型が出るとうれしい。どれもAF一眼レフより旅行カバンに似合うはずなのだが…。

●旅カメラ新世代 〜 G1
  マイクロフォーサーズは現状でもっとも旅カメラの資質と可能性を持っていると思う。パナソニックからリリースされたその初号機「G1」は、初めて「旅カメラ」という使い方を意識して購入。αの装備や性能が必要でなければ、十分に旅カメラをこなしてくれると思う。
 ただし形状としては、小さい割にかさばるG1のような一眼レフスタイルではなく、コンパクトカメラやレンジファインダースタイルがいい。作りももっとガッチリとしたほうが旅には気兼ねがない。今後に期待、というところだ。
(Panasonic DMC G1 発売:2008/10/31)
 
古いプリントからスキャンしたものです。
北海道(MAMIYA C220)

古いプリントからスキャンしたものです。
信州・青木湖(MAMIYA M645)

信州・安曇野(CANON AE-1)

北海道・屈斜路湖(CANON AE-1)

木曽・御嶽山(CANON AE-1)

信州・池の平(CANON AE-1)

室蘭・地球岬(CONTAX 167MT)

京都・伏見(CONTAX 167MT)

新潟・妙高山(α Sweet Digital)

青森・浅虫温泉(α Sweet Digital)

京都・嵯峨野(Zeiss Ikon)

瀬戸内海・生口島(Zeiss Ikon)

広島・尾道水道(Zeiss Ikon)

松江・宍道湖(α Sweet Digital)

浅草・水上バス(α Sweet Digital)

松島湾(α700)


 

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